実家の沖縄に帰って親戚と話をすると、「あれ」が出てくる頻度がとても多い。
祖母がごはんを食べている時、
「そうえばさ、あれ、あれあったでしょ」
と一言いえば、伯母さんは「はいはい、あれね」と言って、冷蔵庫から昨日買ってきたばかりの漬物を取り出す。
「あれ、あれしたいから、あれしといて」
と祖母が言えば、「はいはい、あれね」と母は言い、ゴミをまとめて出しておいたりするのである。
私は「あれ」で分かりたくないという気持ちもあるし、それ以上にそもそも「あれ」に疎い質である。「ああ、あれね」と言ってやる行動もことごとく間違っている。だから「どれ?」と聞き返すし、おばあちゃんが「あれ」と指さした指先の架空の線を、「ぴぴぴぴぴ」といいながら我が指でなぞって、「あれ」を発見したりする。
この「ぴぴぴぴぴ」と言いながら、指先で架空の線をなぞる動作は祖母をけっこうビビらせたようで、「あの子は、あんな変な感じで、人からビックリされないわけ。東京でまともに生活していけるの?」と、母に質問したらしい。そう母から聞いた。なんでも筒抜けなのである。
その質問にはこう答えたい。そもそも東京では「あれ」なんて言葉でやり取りすることはないし、「あれ取って」なんて言われない。東京では多少変な感じでも許される。あと、まともに生活は出来ていない。
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私はライターで、インタビューをよくするが「あれ」的な表現というのは、私にとってなかなかの強敵なのである。「あれ」で通じると、要は文脈を共有していることになるので、話は盛り上がりやすい。しかし、「あれ」が多いインタビューは、テープに起こしてみると、大事なことが抜け落ちていることが多い。
だからインタビュー中は、なんとなく分かったような気にならずに、「あれ」ってどういうことですか? とか、「あれ」ってこういうことであってますか? と聞く必要があると思っている。
とはいえ、やっぱり「あれ」で分かったほうが賢い感じがするし、いちいち聞くのも野暮な感じがするし、インタビューする人に、「この人勉強してきたんだな」と見られたい邪心もあるので、なかなか難しいが、最近やっと「あれ」についての詳細を臆せず聞けるようになってきた。こんなのは初歩中の初歩なのかもしれないが。
あとついつい、普通の会話で「あれ」について聞きすぎてしまって、「インタビューみたいですね」と言われることがある。あれは恥ずかしい。
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そういえば今日、昼ごはんが沖縄そばだった。スープを注ぐ段階まで母が準備してくれていたが、沖縄そばのソフト麺は一度湯通しした方が美味しい。
口からつい「あれ、した方がいいかな」と言い、「あれは、もうしておいた」と母が答えた。あれ、とは湯通しのことである。
「あれ、というばっかりだと、原稿が書けなくなりそう」
とつぶやくと、「沖縄の人は、あれ、ばっかりだからね」と、主語を大きくして母は言う。その直後、
「で、あれどうなったの?」
と母が言い、
「ああ、あれね。あれはまだ」
と私は答え、二人で思わず笑ってしまった。あれ、とは昨日話題に上がった、携帯電話の契約のことである。私はまだあれを、両親にあれしてもらっているあれなので。
2020/06/03