喪があける

そういえば去年のいまごろ、祖父は居間に運ばれた簡易ベッドに横たわっていた。もうあとは死ぬだけということは、誰にも分かっていた。

夜は深かった。私といとこは、祖父の足や手をさすり続けていた。隣の畳の部屋には、おばと母が仮眠をとっていて、いざとなったら二人を叩き起こす。

薄暗い部屋にぼうっと光るテレビを見ながら、そこに映る大盛りのチャーハンに、「大きいね」「食べられないよね」と小さい声で言い合った。祖父の人差し指の先には、ワニの口のような小さな装置がついていて、酸素の濃度や心拍数が表示される。時折それを確認しながら、うん、大丈夫、とお互いつぶやいた。でも、おじいちゃんはもう、大盛りのチャーハンを食べたりしないんだな。人の死に付きそう時間は、苦しくて退屈なんだなと思った。祖父が亡くなったのは朝方だった。

明日は祖父の命日だったと思い、その長くて深い夜のことを思い出した。祖父が亡くなってからというもの、しばらく原稿が書けなくなってしまったけれども、今はなんとか書けるようになっている。夜の思い出の中にすっぽりこもって泣くことも少なくなってきたし、喪があけたのだなと思った。この1年、わりと善戦したのではないかと自分を労った。明日の朝、祖母に電話しようと考える。

次の日、佐倉に行って「性差の日本史展」を見に行った。かつ丼と栗ソフトクリームを食べた。帰り際、友人の直江さんに「今日は祖父の命日なんだ」と言ったら、「そうか、それは思い出すね」と言って、帰りの電車でいろんな話を聞いてくれて、ほっとして、ありがたいなと思った。

ひとりで家に帰っても泣くだけかもしれないと思い、そのままオフィスに行き仕事をした。スピーディーに原稿が書けて、もう大丈夫だな、やはり喪があけたんだなと思った。

祖母に電話しようと思い、念のため調べたら、命日は5日後で、ずいぶん違っていた。調べてよかったと思った。また5日後に悲しみたい。

2020/12/01

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