魚になる

恥を忍んで、10年来の親友ふたりに「私、どういう男の人と付き合うと、うまくいくと思う?」と聞いた。

ふたりには別の場所、別の時間に聞いたけれど、「あなたの人生についてきてくれる人。我がない方がいい」と同じように解答した。

「もしそんなことを言うクソな男がいたら、私はぶっとばしたいけどね」と答えると、2人ともケラケラ笑って、まぁクソなんだけどね、そういうことよ、と言うのだった。

この人たちは、正しさを無視して私の幸せだけを願ってくれるようなところがあり、いい友人を持ったものだと思う。

彼氏と別れてから、わりと真面目に恋のことについて考えていたが、すっかり飽きてしまった。恋とはあくまで入り口で、あとは人間との果てない交際が続くのだから、なぜこんなに恋愛が特別良いものかのように吹聴されているのか不思議に思えてくる。

今まで息を吸ったり吐いたりするように恋をしてきたが、最近は日々のマスクの影響もあり、肺呼吸からエラ呼吸に変わったみたいで、自分が魚になったのだと思う。

それは単に、仕事場へ行く途中に川を渡るからなのかもしれないし、恋とコイの響きが似ているからかもしれないし、友人の直江さんの息子が魚にハマっているという話を聞いたからなのかもしれない。

もし私が魚だったとして、私は、私のあとについていきたくなるような、特別なピカピカの魚ではないような気がする。正直に言うと、恋そのものよりも、その事をずっと考えている。もしかしたら東京に来てからずっと。しがないライターの、誤字脱字の多い、家事のできない、ぼんやりとした、でも我だけは強い人間に、いったい誰が、と思う。

それでも、私はもう魚になったのである。人間の世界は知らない。水中では多様な生存戦略があるのだからよしとしたい。そうやってスイスイと泳いでいくだけで、本当は充分だ。

2020/12/02

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